近年でも、日本の留学生問題を語る際に「偽装留学生」という言葉が使われることがある。
確かに過去には、留学を名目として来日しながら、実際には就労を主目的としていた事例が社会問題となった。したがって、そのようなケースが存在したこと自体は否定できない。
しかし、現在の日本の留学生問題を説明するうえで、「偽装留学生」という言葉がどれほど有効なのかについては、改めて検討する必要がある。なぜなら、日本の制度環境は大きく変化しているからである。
かつては、日本で働くための在留資格の選択肢が限られていた。そのため、就労を希望する外国人の一部が留学制度を利用して来日するという構図が生まれやすかった。しかし現在は状況が異なる。2019年には特定技能制度が創設され、一定の条件を満たせば、就労を目的として合法的に来日できる道が整備された。
もちろん、すべての人が特定技能の要件を満たせるわけではない。しかし少なくとも、「日本で働きたい」という希望そのものを実現する制度的な選択肢は以前より大幅に増えている。
このような状況の中で、わざわざ高額な学費を支払い、日本語学校へ通い、出席管理を受け、就労時間の制限まで受けながら留学生として来日する合理性は以前より低下している。
したがって、現在の留学生問題を語る際に、何十年も前と同じ感覚で「偽装留学生」という言葉を使うことには慎重であるべきだろう。
もちろん、制度を悪用する者が完全にいなくなったわけではない。しかし重要なのは、その存在の有無ではなく、それが現在の主要な問題なのかという点である。むしろ現在の日本語学校が直面している課題は別のところにあるように見える。それは、学習目的や将来設計が曖昧なまま来日する留学生の増加である。
留学生と聞くと、多くの人は日本文化に強い関心を持ち、日本語を学ぶ明確な目的を持った人々を想像するかもしれない。しかし現実には、留学生の動機は多様である。日本のアニメや文化に強い関心を持つ者もいれば、進学を目指す者もいる。将来日本で働きたい者もいる。一方で、「とりあえず海外へ出てみたい」「母国とは違う環境で生活してみたい」「将来の進路を考える時間が欲しい」といった比較的漠然とした理由で来日する者もいる。
これは決して外国人だけの話ではない。日本人の若者の中にも、明確な目的を持たないまま進学したり、海外留学したりする者は少なくない。つまり、目的意識が曖昧であることと、制度を悪用していることは別問題なのである。
ところが、現在の議論では、この二つがしばしば混同されている。
学習意欲が低い。
日本語能力が伸びない。
日本文化への関心が薄い。
こうした問題があると、すぐに「偽装留学生だ」という議論になりがちである。しかし、それは問題の本質を見誤る危険がある。本当に問われるべきなのは、「なぜ来日したのか」ではなく、「来日後にどのような教育を受け、どのような能力を身につけるのか」である。実際、現在の日本語教育政策はこの方向へ進んでいる。文部科学省が進める認定日本語教育機関制度では、単なる試験対策ではなく、実際に日本社会で生活し、学び、働くためのコミュニケーション能力を育成できる教育体制が重視されている。これは、「誰を排除するか」という発想ではなく、「どのような教育を提供するか」という発想である。
留学生問題を考える際にも同じ視点が必要ではないだろうか。現在の課題は、「偽装留学生がいるか、いないか」という単純な二項対立ではない。むしろ、多様な背景を持つ留学生に対して、どのような日本語教育を提供し、日本社会で活躍できる能力を身につけてもらうかという点にある。
過去の問題を語ることは重要である。しかし、現在の制度や実態を無視して過去のイメージだけで議論を続けるならば、現実の課題を見失うことになるだろう。今求められているのは、「偽装留学生」という言葉を繰り返すことではなく、日本語教育の質と留学生支援のあり方を冷静に議論することである。